水分補給からみるナミビア人の進化と人種について

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Welwitschia:ウェルウィッチア ~砂漠に何千年も生きる植物(化け物?)~

ナミビア人の大人や子供を見て、同じ時間を過ごし、話しを聞いてみると、のどの渇きや水分補給に関する体質的な違いを感じることが何度もあった。

そこから、同じ人間でも人種の違いによって変わるもの、変わらないものなどを考えてみた。

■ナミビアの会議やイベント時の水分補給

ある日、職場の会議が予定よりも長引いて3時間かかった時があった。そして驚いたことに、ほとんどの人は水分補給をしなかった。自分は水を持ち歩いているので大丈夫だったが、500mlのペットボトルが空になった。

別のイベントでは、これもまた予定を大幅にオーバーし、15時~18時のところ21時半までかかってしまった。全員に500mlの水が配られただけで、ほとんどの人はそれだけで過ごしていた。自分は予備として水を持ちこんでいたので事無きをえた。

自分は会議やイベントごとでは必ず水を持ち歩いている。それは、ナミビアのそういったイベントは長丁場になるケースが多く、休憩時間という概念も無くぶっ通しで続くからだ。議論好きのナミビア人はそれが普通なのかもしれない。そこで水分補給のストレスを一番抱えているのは明らかに日本人の自分だと思う。3時間水なしでも生きていけるが、結構なストレスを感じてしまう。そういった経験から、ナミビア人と日本人は体質が違うのではないかと考えるようになった。日本より湿度が約30%も低い砂漠気候のナミビアで生活し世代交代してきたナミビア人は、日本人と比べて明らかに乾燥に強い体質に進化しているのではないか、と。

■狩猟民族の狩猟時の水分補給

それを裏付けるかのように、ナミビアの狩猟民族であるサン族(ブッシュマン)は、カンカン照りの太陽の中、往復18キロ、4時間以上の狩りに出かけるのに水を持たないという衝撃の事実を目の当たりにした。

↓狩猟民族を訪問した時の様子は以下にまとめています

【Tsumkweで狩猟民族とハンティング】世界一歩くのが早い民族
ナミビア北東部の秘境Tsumkwe(ツンクウェ)では今でも狩りを行うサン族(通称ブッシュマン)と呼ばれる民族が生活しています。 ...

■小学校の体育の時間の水分補給

大人だけではない。子供もそうだ。

ある小学校では毎日断水するという問題を抱えている。そこで活動する協力隊員はその状況でも体育の授業を行っていたのだが、水分補給ができないのに体育を行うべきか否か、行うにしろ自由参加にすべきではないのか、と悩んでいた。従って、「水が飲めないけど大丈夫な人だけ参加して下さい」という方針でやっていたようだ。

しかし話を聞いてみると、「水が飲めないから体育に参加しない」という生徒は今のところ出てきていないらしい。

これもナミビア人は乾燥に強い体質である、ということを裏付けるものかもしれない。

■人種が違っても人間に共通するものとは

人類は地域によって体格や髪質、皮膚の色など見た目がはっきりと異なり、ナミビアにいるとそういった身体的な多様性を実感することができる。しかしながら、数万年前まで元をただせば人類は元々同じ種類から派生したものと言われている。そこから大きくアフリカ系/ヨーロッパ系/アジア系に分かれた。実際そこのところはどうなのだろうか。何が同じで、何が違うのだろうか。それは一緒に働き生活していくなかで喜びや悲しみ、怒りを共有してみると、見た目は違えど人間として持つ感情は一緒なんだなと私は感じることができた。もちろん些細な違いはあるものの、人種が違っても同じ人間である限り、基本的な「喜怒哀楽」の感情は一緒なんだと思うようになった。

先日、それを象徴するようなフレーズをナミビアで聞いたのでそのまま紹介したい。

「People not crying is coming from the other planets」

これは先日、同僚が交通事故で亡くなってしまった時に、別の同僚の一人が言っていた言葉だ。

この時は既にみんな落ち着いた雰囲気で冗談交じりに言っていたものだが。

しかし亡くなったのは校長で、誰からも愛されていた心のよりどころのような存在であった。アフリカの葬式やセレモニーは今まで聞いてきた話からお祭りのような明るいイメージがあったが、全くそんなことはなく、真逆のものだった。亡くなった人の思い出に目をそらさず正面から向きあうもので、悲しくつらいものだった。ただ、そこでまる3日間のセレモニーの準備運営を完璧にこなした同僚や生徒を見て、尊敬する人のために今まで見たことがないくらい全力で働いていた姿には感動してしまった。最終日なんて、朝6時開始~15時まで休みなしである。ナミビア人の真骨頂を見た気がした。

■生活環境によって異なる進化を続ける人間

様々な人種がいるなかでも人間として共通する部分がある一方で、「のどの渇き」という観点から考えてみると、環境に応じて独自の進化を続けている人間の身体的な多様性、違いというものは目に見えない部分で色々とあるのではないかと考えるようになった。

ナミビア人の例は乾燥に強いという進化である(勝手に決めつけてますが)。一方で先進国はどうだろうか?人工的な力で不便なものを極力少なくしており一見恵まれた環境に見えないこともないが、このままでは自力で環境に対応できない、抵抗力・環境適応力のない人間に進化している気がする。ナミビアをはじめとした途上国も同じ道をたどるのだろうか。

ヘビも砂漠で進化

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砂漠のカメレオン

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■進化の観点から考える、他の人種を尊重する方法とは

今回の論点は人種による「のどの渇き」の違いであったが、それ以外にも「肌の色」「目の色」「髪の毛の色、質」など多くの違いがあげられる。

・肌が黒いとメラニンが多く紫外線に強いが日差しの少ない欧米ではビタミンDが欠乏しやすく、病気につながる。

・肌が白いとメラニンが少なく紫外線に弱いため、アフリカなど日光量が多い場所では皮膚癌になりやすい。

・青い目の方が黒い目よりも日光をまぶしく感じる。

・髪の毛がさらさらだと、チリチリヘアよりも風通しが悪く日光に弱い

人種一つとってみてもたくさんの違いがあることが分かった。これは身体的な違いだが、言語、宗教、民族、文化などの違いも全て含めると数えきれないほどあるだろう。

様々な国籍が集まるようなチームでは、無条件にお互いを尊重し合うことが本当に大事なんだと思った。

根拠に乏しく超主観的に書いてしまったが、こういった興味深い経験・そして考察ができたのも、ナミビアに来て良かった理由の一つである。

青年海外協力隊、学ぶことが多いです。

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