ナミビアの職業訓練校では専用の教科書があります。しかし、たくさんの間違いがありました。ただのスペルミスならかわいいもので、参考画像が全く関係ない画像であるといった致命的なミスも散在し、驚きを通り越して、ギャグなんじゃないかと思うレベルです。
とはいえ、教科書を自分で用意する必要もなく、生徒に配布する資料も減るので、教科書が存在すること自体に感謝しています。
日本の価値観からすると、教科書の記載ミスがあったら「今すぐに修正して翌年からは改訂版が使用されるべきだ」と当たり前のように考えてしまいます。
しかしここはナミビア。日本の常識が通用しないケースは沢山ありますが、教科書のクオリティもその一つでした。調べてみると、多くの重大な記載ミスがありながらも、それが放置され、10年近くも同じ教材が使われ続けていることが分かりました。
ちなみに、教師も生徒もこれを問題として認識しており、修正されるべきだということは分かっていました。(あまりシリアスではありませんが。。)
それなのに、そのまま長年放置され続けているのはなぜなのでしょうか?ナミビア人が怠惰ということなのでしょうか?
日本での常識が通用しないケースは多々ありますが、何事にも理由があると思います。この件についてもなぜなのか考えてみました。
※日本の常識が正しいとは限りませんが。。
そして出た結論は、ナミビアの文字文化に起因しているのではないか、ということです。
日本では、西暦1500年頃から中国からの漢字の伝来とともに文字が使わ始めるようになり、中国では3000年以上も前から文字が使用されていたようです。
一方で、ナミビアをはじめとするアフリカの大部分ではそもそも文字が用いられていなかったらしいです。
世界遺産のTwyfelfontein(トゥウェイフルフォンテーン)。
ナミビア中部に現存する、1000年以上前のペトログリフ(岩石に刻まれた彫刻)ですが、文字はありません。
アフリカの大半では、歴史を証明するような文字・書物が残されておらず、遺跡などもごくわずかのため、「人類発祥の地」と言われるように長い歴史を持ちながらも歴史研究が難しいという不思議な矛盾を抱えていることがWikipediaより分かりました。とても興味深いです。
このように、ナミビアは文字文化の歴史が非常に浅く、その長さはわずか数世代ほどです。いまだに読み書きができない年配の人達も多いです。だから、数十世代にわたって文字にふれてきた地球の反対側の日本人と比べるならば、教科書などの文字教材に対する意識が乖離しているのはごく自然であり当たり前のことなのかもしれません。
だから退職時に引継ぎ資料を作る人が非常に少ないのでしょうか?
一方で、文字文化の歴史が浅いということは、その分口語など対面でのコミュニケーションが日本人よりも活発に行われてきたのではないか?、と単純に考えると推測できます。
そうすると、今まで疑問に思ってきた様々なことの辻褄が合ってきました。
「ナミビア人はプレゼンテーションが上手な人ばかりなのはなぜだろう?」
「ナミビア人は話し好きで社交的な人ばかりなのはなぜだろう?」
→長い無文字文化により対面コミュニケーションが発達した(又は衰退しなかった)ことが理由なのではないか、と。
この件では、「なぜナミビア人は~なんだろう」といった疑問がなんとなく腑に落ちるまでかなり時間がかかりました。そして長い時間をかけて見えてくるものがありました。
※あくまで個人的に腑に落ちたにすぎず、気づくのが遅すぎるとも言え、それがまた見当違いな可能性も大いにありうるのですが。
お互いの考え方に大きな違いがあっても、こちらの価値観を一方的に押し付けず、まずは相手の考えを頭ごなしに否定することはぜず、尊重し、根気よく理解しようとすることで見えてくるものもあるのかなあという経験ができたのも、青年海外協力隊に参加して良かったと思えた理由の一つです。
とはいえ、間違いの多い教科書をそのまま放置するべきではないと思います。でも、「修正しなきゃだめだ」と言う前に、「何で修正しないのか?」を考えるのが大切だと自分は思いました。とはいえ、多少の問題が起こるのを見越した上で即行動してとりあえず修正してしまい、そこから軌道修正していく方が良いとも言えますが。。結局の所ケースバイケースなので、この問題はうやむやにして終わりにしたいと思います。