青年海外協力隊としてナミビアに来てみると、日本でできていたことができないことに、思った以上にストレスを感じることになった。出国まではあんなにワクワクしていたのに。
しかし、そのネガティブなことから新たな何かに気づき、ポジティブに転換することができた。アフリカで自分の価値観が変化したのか、それとも、潜在的な新たな価値観を発見したのか?そんな経験をしたので書きたいと思う。
■ナミビアに来て間もなくして感じたストレス
青年海外協力隊としてアフリカ行きが決まってから、日本には無いアフリカの魅力に大きな期待と夢を膨らませて準備をしてきた。手つかずの大自然、動物、そして未知の文化や生活。わくわくせずにはいられなかった。
しかしながら、実際にナミビアに来てみると、思いのほか早く現実を知ることになる。日本で手に入ったものが、どこに行っても手に入らない。日本で食べていたものが、食べられない。日本で遊んでいたことが、できない。多くのネガティブなことに直面した。それは頭では分かっていたことなのに。いかに写真や動画を見て、話しを聞いてみたところで、実際に行って体験しないと分からないものだなあ、まさに「百聞は一見に如かず」とはこのことだと身をもって体験した。それを強く実感できたという点においては、大きな学びであった。しかしその代償として、ストレスを感じる時期があったことは否定できない。
■ネガティブなことをポジティブに転換。ナミビア人から学ぶ。
そんなネガティブな感情を克服することができたのは、この環境でも幸せに暮らしている人たちに出会い、時には寝食を共にし、長い間同じ時間を過ごしたからだと思う。
ただ肉を焼いて酒を飲んで話すだけ、そんなシンプルなこと、ちょっとしたことをいつも楽しんでいるナミビア人からは沢山のことを学んだ気がする。
プロジェクトの打ち上げブライ(=BBQ)。ブライはナミビアや南アフリカで一般的な文化。
そんな陽気なナミビア人と一緒にいるうちに、気づいてみると、自分もちょっとしたことでも喜べるように、幸せを感じられるようになっていた。
このように価値観が変化した理由は、日本と比べるとモノやサービスが圧倒的に少ない生活になったからだと思う。それはナミビアにきて逃げ場のない環境に置かれて初めて肌で感じることができた点だと思う。
■「ネガティブ⇒ポジティブ」に転換した具体的な出来事
1、食事
例えば、日本食の外食ができない。それ以前に、日本食材すら手に入らない。頑張って自分の家から片道800キロの首都まで行き、やっと中華食材を買うことができる。その中華食材も、はっきり言って日本で食べてたら「なんだこのまずい中華料理は」って思って2度と食べないレベルである(笑)。それでも、日本食なんてほぼ皆無で、アジア食材すら入手困難なナミビアで生活してみると、数か月ぶりに食べた「変な中華料理」がいかに美味しいことか!感動すら覚える。個人的にも、もともと食に対するこだわりはないはずだったのに、である。本当に不思議だ。こんな逆境だからこそ希少価値が高く、特別なものとなったのだろう。
「変な中華料理」を食べて幸せを感じるようになるなんて、不思議だ。
2、娯楽
あとはエンターテイメントが少ない。カラオケ、ダーツ、ボーリングはできない、遊園地もない(ヘンテコな温泉は一応ある。それはそれで面白かったので後日掲載予定。)。日本では、はっきりいってそんなのあっても無くってもどうでもいいと思っていた。そういった娯楽どころか、自分の好きなスポーツもできない、という状況に陥った。テニス、スノボ、サーフィンなど、大好きなことができない生活でよいのか、と思うこともあった。そういった「小さな犠牲・我慢」が積み重なっていったナミビア生活だった。
とはいえ、首都では映画を見ることができた。この前、友人に誘われて久しぶりに映画を見に行ってみた。スターウォーズを見に行ったのだが、そもそも1回も見たことが無くて全く興味が湧かなかったが、ナミビアで長く生活をしていて、何でもいいから映画を見たいなあ、と思ってしまったのだ。スターウォーズの前提知識がゼロの状態で見たので、はっきりいってわけが分からないまま終わった。それなのに、終わったときの満足感は半端なかった。ちなみに映画館は日本と同じレベルで綺麗だった。日本では滅多に映画を見ないし、家で見る派だったのに、映画館で見る楽しさを新たに発見した。「わけが分からない映画」を見て満足できるようになるなんて、不思議だ。
ナミビアの映画館。3D上映もやっており、非常に綺麗。
次に、友人と遊んだりするケースであるが、とくにこれをやるっていうのが無いパターンばかりなので、食べて飲んでひたすら話すことが多くなった。ナミビアに来て、そもそも話すぐらいしかやることが無い状況に追い込まれた。話す内容はくだらない事ばかりで、でもやってみると案外話は尽きないもので、どんどん楽しくなっていっていることに気づいた。でもそれって数少ない日本人との同胞意識やお酒のせいかもしれないけど。とはいえ、ナミビアに来て、「ただ会話をする」ということがより楽しいと思えるようになった。それは友人や家族、街で出会う知らない人達とのおしゃべりをシンプルに楽しむナミビア人からも学んだ。
3、普通の生活
あとは生活の基本的なところ。お湯のシャワー、洗濯機、柔らかいベッドで眠れる、など日本では当たり前のことでも、それが無い環境を生まれて初めて経験して、ありがたみを痛感した。気温10度を下回るようなナミビアの冬。寒くても水シャワーを浴びた。洗濯機が無いのが当たり前で、手洗いで洗濯をした。泊まりに行き、ベッドが無いので冷たくて固いコンクリートの床に薄い寝袋一つで寝た。
このように、お湯のシャワー、洗濯機、柔らかいベッドなど当たり前の小さなことで喜べたり、幸せを感じられるようになった。
川沿いの村では入浴も洗濯も川の中だ。
4、まとめ
こうしてみると、ナミビアへの適応が思った以上に難しいことが分かり、日本人としてのアイデンティティは思った以上に根深く自分に浸透しているのだなあと、日本を飛び出してみて気づくことができた。そして、これはカナダ生活では気づけなかった部分である。アフリカという日本とのギャップが大きい場所で生活して初めて気づくことができたものだと思う。
(途上国に住む前に先進国の外国に住む、という目的で行ったカナダでの生活は結果的に大正解だった!)
■最後に
最後に、ナミビアではできないことが多いが、逆にナミビアにしかないものもある。それが自然や動物だった。自然や動物をゆっくり眺めながら友達と話す。電気もない大自然の中で焚火の火を囲んで語り合う。
そんな自然に身をゆだねて、自然的・動物的・本能的な幸福感をじっくりと味わうことは、自分の生き物としての本質を思い出すかのようであった。
大人になると性格や価値観は簡単には変わらないと思う。まして自分は30年近くも日本で過ごしてきた。それでも、ナミビアに来たことで、自分の中の「幸せ」の定義が変わった。
この年になって、自分の価値観が新しく変化したのだろうか?考えてみると、そうではなくて、生まれながらにして自分の中に持っていた潜在的な何かに気づけた、もしくは小さなことに驚き感動した子供の頃のような気持ちを思い出したということなのかもしれない。
今までの自分を取り巻いていた環境や経験により無意識に根付いていた思い込み。家族や学校や職場から日頃目にするテレビや新聞等々、信じてきたものが全て正しいとは限らない。アフリカという別の世界に来たことで、そういったことに縛られずに考える機会ができたように思う。そうしてゼロベースで考えなければ理解できない事柄であふれる環境に置かれたことで、自分で1から考え判断を下し、自分の価値観に気づけるようになったのではないかと今は考えている。
ここまで、「小さな幸せ/足るを知る」という点だけにフォーカスしてきたが、それだけで終わらせてしまうと本質とずれてしまう。
きれいごとだけ並べても意味が無くて、自分には贅沢したい時もあるからだ。行きたい所に行き、美味しいものを食べ、遊ぶ時はとことん遊ぶ!小さな幸せの反対に位置するものを仮に大きな贅沢とすると、自分は大きな贅沢を否定しないし、むしろそっちも求めてしまう人間である。そして、小さな幸せと相反するものでもないと思う。
でも、少なくとも、日本に帰国しても小さな幸せを見逃さずに噛み締めていきたい。そんな人生が送れたらより楽しいに違いない。そんなことを考えたアフリカンライフです。
要するに、よもだそば最高!ってことです。